プロフィール

初めまして(^^)

このブログを運営する、なぎと申します!

訪問いただき、ここを見てくださり、誠にありがとうございます☆

まずは簡単に(^^)

自己紹介

名前 なぎ
年齢 4月に34歳(o_o)
血液型 O型
好きな

食べ物

・チョコ

・ケーキ

・パン

・明太子

・肉…あ、お肉

好きな事 ・ドラマを見ること

・excelの数式を調べる事

・Twitter

性格 ・方向音痴なのに道をよく聞かれる

・説明書が読めない

・石橋を叩きすぎて壊すタイプなのに、時々自分でも信じられないくらいの行動力を出す事がある

・基本大雑把なのに、ここ気にする?!っていう所がとっても気になる

・自己肯定感が低いけど、時々ポジティブ

・ナチュラルメイクという名のほぼスッピン

家族構成 ・4つ上の主人(B型)

・暴れん坊すぎる3歳児男子(B型)

・気が強い1歳児男子(きっとB型)

派遣会社の育休中で、なんとか2人とも保育園が決まったのに、派遣先が見つからず大ピンチの母です( ´ ▽ ` )

色々あって子ども達には自分と同じ思いをさせたくなくて、家で仕事をできるようにするのが目標です♪

このブログについては↓から☆

サイトマップ~このブログについて~

ここからは長くなるので、

私がどんな経験をしてきたのか興味がある方だけ読んでください(^^)♪

過去に色々あって自己肯定が低い私ですが、

遊びに来てくださった方が楽しい気分でこのブログを閉じれるように、

頑張ってブログを作っていきますので、

是非お付き合いいただけると嬉しいです(o^^o)

それでは、また遊びに来てください♪

さてさて、まだお付き合いくださるレアなそこのあなた☆

好きです(о´∀`о)

ありがとうございます☆

ここからは少々暗い話になりますが、

今現在の私は毎日色々ありながらも、なんとか楽しく過ごしていますので大丈夫です(^^)

飽きたら遠慮なく、離脱してくださいね☆

それでは…始まり始まり〜♪

 

寂しかった幼少期

父の借金が原因で家計が厳しく、両親は共働きでした。
保育園のお迎えはいつも一番最後。

小学校にあがっても学童のお迎えにいつも母が間に合わず、
同じ団地に住む幼馴染のお母さんが私を一緒に連れて帰ってくれて、
幼馴染の家で母の帰りを待っていました。
(当時はそれがOKだった⁇)

今になって、母も早く帰りたかっただろうな。辛かっただろうな。というのがわかるようになったのですが、
当時はとにかく寂しかった早く帰ってきて欲しかった

小学校高学年になってからは、鍵っ子で誰もいない家に帰って、
一人でバスに乗って習い事に通っていました。

色んな習い事をさせてくれていたのはありがたかったけど、
私が本当に憧れていたのは、たまに行くお友達の家でした。

お母さんが「おかえり」と言って迎えてくれて、
遊びに来た私たちに「いらっしゃい」と言っておやつを出してくれて。

そんなどこにでもある普通の幸せがただただ羨ましかった。

それにお金に余裕がなかったので、母は怒っていることが多く、両親もいつもケンカばかりしていたので、
私は幼いながらに両親がいつ別れるのかずっと様子を見ながら生活をしていました。

高校2年生の時に両親が離婚

実際に離婚したのは高校2年生の頃ですが、両親の離婚が決まったのは高校1年生の終わりでした。

いつかその時が来ることはわかっていたので、母に「お父さんと離婚することになったの」と言われた時は、
「あぁ、ついにその時が来たか」と割と冷静に受け止める事ができました。

母を1人には出来ないと思って母と暮らすつもりでいて、母もアパートを探して来てくれて、
割と楽しく「この家いいね〜」なんてワクワクしていました。

ところが、ある日「会わせたい人がいるの。その人の家で3人で暮らそう」と言われました。
その時に私がどう思ったのかはもう覚えていません。

でも初めて母が会わせたがっていた人と会って、その人を見た瞬間「この人なら大丈夫だ」と思った事は覚えています。

高校生の私に丁寧に名刺を渡してくれて、「お母さんの事を大切にします」と言ってくれました。
私も「母の事をお願いします」と言って、母が泣いていました。

私は、母がずっと苦労して辛い思いをしていた事を知っていたので、「母の幸せを邪魔してはいけない」と思ったのと、独りきりになっちゃう父が可哀想になって、父と暮らす事を決めました。

母には何度か泣きながら説得されましたが、私は意思を変えませんでした。

出て行く日の朝、私は学校があったのでいつものように「行ってきまーす!引っ越し気をつけてね!」と明るく出て行きましたが、
玄関を出て、泣きました。

泣きながら学校に行って、学校ではいつも通りに過ごして、
家に帰って母が居ない、何もなくなった部屋で、座り込んで号泣しました。

その日の記憶はそこからありません。

寂しそうに台所の換気扇の下でタバコを吸う父の小さな背中を見る事が多くなり、
可哀想な気持ちになったり、自業自得だよ。って思ったり、複雑な気分で過ごしました。

当時ゴールデンレトリバーを飼っていたんですが、
ヒールの音が聞こえる度に母が帰って来たと勘違いして吠えていて、それがとても切なかったです。

でも、母に会えなくなった訳ではありませんでした。
母の引越し先が同じ区内だったので、たまに遊びに行ったりしていました。

居場所を失った

両親が別れてすぐ、「俺が守ってやる」と言ってくれた、ずっと仲良かった男友達と付き合う事になりました。

その人のおかげで両親が離婚しても、なんとなく自分を保てていた気がします。

でも、付き合って1年くらいの時に、よりによって同じ部活の子との浮気が発覚。
最終的に私が振られて、彼はその子と付き合うようになりました。

2人とも同じクラスで、休み時間になると毎日イチャイチャ。

わたしが泣いているのを見て2人に「被害者ぶってんじゃねぇ」「悲劇のヒロインかよ」と聞こえるように言われ、
私は誰も信じる事が出来なくなり、友達とも距離をあけるようになりました。

ご飯を食べる気にもなれず、どんどん痩せていく私を見て友達が心配して、
「お願いだから、これだけでも良いから食べて」と泣きながらチロルチョコをくれて、
私も泣きながらそのチロルチョコを食べたのを覚えています。

支えてくれた友達はいましたが、「可哀想」と思われる事に耐えきれず、私は登校するのをやめました。

出席してれば留年にはならない日数を計算して、その日数だけ登校してました。

学校に行かなくなったからと言って、
家にこもるわけではなく、
当時大学生くらいだった人たちと地元の友達経由で知り合って、
そのグループの中の女の先輩の家に泊まらせてもらったりして、
父が仕事に行ってる間は自分の家にこもる→
父が帰ってくる時間に出かけて先輩の家に泊まる。という生活を繰り返してました。

大学受験を断念して専門学校に

うちにはお金が無かったはずなのに、私は中高一貫校に通わせてもらっていました。

離婚してから、お金が無い事はわかっていたので、何度か「辞める。辞めて働く」と親に言ったのですが、
父はそれを許してはくれませんでした。

でも、ある日担任の先生に呼び出されて、
「学費が払われていない。親に連絡をしても対応してもらえない。」と言われました。

父に話しても「わかってる」としか言われず、仕方なく母に先生から言われた事を話し、「高校を辞めたい」と伝えました。

でも、母もそれは許してくれず、結局、母の再婚相手の方が出してくれました。

進路相談の時に「高校を卒業したら働く」と担任に伝えたのですが、
中高一貫の進学校だったのでなかなか許してもらえず「奨学金もあるし、大学に行け」と、
ずっと説得をされていました。

最終的には、母の再婚相手が学費を出してくれる事になりました。

本当は大学に行きたい気持ちはありましたが、
少しでも早く社会に出て働いた方が良いんじゃないか。と思い、
大学受験は諦めて専門学校に通うことにしました。

当時は「生きること」に精一杯で、将来の事なんて考えられる余裕はありませんでしたが、

唯一成績が良かった英語を生かせる仕事に就こうか?と思い、目に留まったのが「グランドスタッフ」という仕事でした。

空港で働くお姉さんです。

父は昔から飛行機が好きで小さい頃からよく空港に連れて行ってくれていました。

父と会わないようにしながらも、申し訳ない気持ちはあったので、父が喜ぶかな。と思って空港で働くことを目標に専門学校を決めました。

上には上がいる事を思い知らされた

英語を活かせる仕事をしたい!飛行機が好きだ!という思いで入った専門学校。

当然、英語が得意な人が多く、上には上がいる事を思い知らされて、

自己肯定感が低い私は入学してすぐにポキッと心が折れました。

でも母の再婚相手の方にお金を出していただいたので、とにかく通い続けました。

受験の時に何故か頑張ってしまったので、専門学校のクラスは優等生のクラスになってしまい、周りは帰国子女やら、頭がいい人ばっかり。

落ちこぼれの私はいつもみんなにバカにされて、テストの度に「なぎ何点だった?」と聞きに来られて、点数を見せては「やったー」とみんなが戻っていきました。

 

あまりに悔しくて1教科だけとにかく頑張って上位を取った時、いつものように「なぎ何点だった〜?♪」といつものように聞きに来て、私の点数を見て、

「え?!嘘でしょ?!」と凹んだ時の顔ったら…ふっふっふ。←性格悪いでしょ。

でも、他はいつも通りだったので「まぐれじゃん!」と笑われました。

でもそれで良かったんです。

小学校までは頭が良かったので、塾でひがまれて嫌がらせをされた事があったので、バカなふり…いや、ホントにバカなんですけど。

バカにされるのは、とっても楽でした。

憧れのグランドスタッフ

ロクに勉強もせずにファミレスとコンビニのバイトに勤しんでいた私は、

すっかり専門学校でも落ちこぼれになり、就職活動にとにかく苦戦しました。

私が受かった時、先生が泣いて喜んだのはいうまでもありません。

憧れのグランドスタッフになって喜んだのもつかの間。

私は1年で辞めることになりました。

見た目の華やかな印象とは裏腹に、そこは女の世界で派閥争い。

私はどちらの派閥にも属さなかったので、先輩達から嫌がらせをされてました。

背中を蹴られたり、「締切」の札を受付の所におかれたり、無視されるのは当たり前のことでした。

ロッカーで1人で泣いている事も多かったけど、気にかけてくれる先輩や同期も中にはいました。

専門学校に行かせてもらった恩もあるし、すぐ辞めたら学校にも迷惑がかかるので1年は続けましたが、最後の方は心も壊れていて空港に近付くと冷や汗が止まらなくなったら、仕事中に過呼吸で倒れる事も多くありました。

さすがにそんな状態になってからは嫌がらせも無くなり、辞める時には嫌がらせしていた先輩も優しくなっていました。

念願の一人暮らし

空港を辞めて1ヶ月くらいは、元の心身を取り戻すためにゆっくり休みました。

ただ、私のストレスの原因は職場だけではなく、父にもありました。

高校の時から私は高校までの定期代や携帯代などは全部バイト代でまかなっていました。

たまに父から「これでご飯買いなさい」と千円をもらうこともありましたが、自分の事は自分で。がスタンスでした。

私が働き出してからは、家賃を少しだけ払っていましたが、更に毎月のようにお金を貸してくれ。と言われていました。

お金を貸す→父の給料日に返ってくる→次の給料前にまた貸してと言われる…のループでした。

職場のストレスからは解放されましたが、このままでは私の心は壊れたままだ。と思い、空港時代に貯めたお金で念願の一人暮らしを始めました( ´ ▽ ` )♪

私の生活が厳しい時に助けてもらった事もありますが、未だに育休中にも関わらず「お金貸してくれ」と言われることがあり、消耗しています。

転職を繰り返し続ける

これは改めて別に書こうと思っているのですが、

空港を辞めてから本当に転職ばかりを繰り返しています。

本当に嫌になって辞めたのは2社だけです。ここでずっと働きたいなと思った会社が業績悪化で解散してしまったり、結婚や出産などもあって恥ずかしながら1つの会社で3年以上働いたことがありません。。

結婚と出産について

主人と出会ったのは今から10年前。

職場の先輩の紹介でした。紹介でうまくいった試しがなかったので、結婚して2人の子どもに恵まれるなんて思ってもいませんでした。

一時期私が不穏な空気にしてしまった事があるのですが、それでも飽きずにこんな私と10年も一緒にいてくれるレアな人です(笑)

このブログの立ち上げも全て主人がやってくれました。

これを見るかはわからないけど、主人には本当に感謝しています。ありがとう。(媚売っとかないと♪)

結婚や出産については別のカテゴリーでちょこちょこ書いていきたいと思っていますが、結婚式の事で母ともめてしまい、母とは私が結婚してから数年は疎遠でした。

次男が生まれて少ししてからまた同じ県内に母が引っ越して来て連絡を取るようになりましたが、未だにほとんど頼る事は無く、今年に入って乳腺炎になった時も助けてとは言えずに1人で乗り切りました。

母の幸せな生活の邪魔はしない。というスタンスは今も変わりありません。

家で仕事をしたいと思った理由

私の最終的な目標は息子たちに「おかえり」が言ってあげられるように、

そして、おやつを用意してあげられるように、家で仕事をする事です。

それは息子達に自分と同じ思いをさせたくないから。

普通の幸せに人一倍憧れがあった私は、例え思春期を迎えて無視されたとしても、「おかえり」と迎えてあげたいと思っています。

まだまだ迷子な部分もありますが、自分が出来る事で少しずつコツコツ前に進んでいきたいと思っています。

かといって、働くママの事は本当に尊敬しています。

バリバリ働きながらステキな子育てをしているママさんが多く、憧れもあります。

さいごに

ここまで読んでくださった方。

…いるのかな。つい長くなっちゃいました。。

もしいたら…本当に本当にありがとうございます(>人<;)

何かお礼がしたいくらい感謝しています!!

カメのようにのんびりな更新になると思いますが、これからも何卒よろしくお願いいたします。

ここまで読んでくださった優しい方にはきっといい事が起こるはずです!!

本当にありがとうございました(^^)

 

おしまい☆